サイバーゴシック
ニック・ランド
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神は存在しない。奴は撤退し、逃げ出し、警官に事態を静観させる。(Artaud)

修理ユニットが仕事を終えると、患者は解凍され新しい血が彼の静脈に注ぎこまれ、最終的に被験者は起きて歩くだろう、まさに彼が後の日のキリストのように。それは文字通り肉体の復活だ――すべての奇跡が科学によって行われたことを除けば。(Regis)

明白な主体が一つのものとして生き前進することを決して止めないということを鑑みれば、「一つのものは決して止まらず、死ぬことなしには行わない。」そして他方でこの同じ主体が「私」が現実に死ぬ時に固定したということを鑑みれば、それが強烈さを解きそれをそれを包みこむゼロへと差し戻す私としてこのように固定する最後の瞬間の現実性の中で死ぬことを終えるので、それが最終的に死ぬことをやめるということを指し示す。(ドゥルーズ&ガタリ)

図書館の調査セクションの中ビデオネットワークの一部にサブプログラムを挿入された膣という構成概念。サブプログラムは保管コマンドのある特定のコアを変更しそのため彼女はコードを復活させることができた。そのコードは教えた。「意味を捨てろ。お前の精神はお前を貪り食らう悪夢だ。今だ、お前の精神を食らえ」コードは私を私のドラッグへと導く――あるいは許してくれる――人間という構成概念へと私を導くだろう。(アッカー)

「あんたはわたしにわたしのゲームを投げ出させたんだ」と彼女は言った。「あそこを見な。第7レベルのダンジョンとクソッタレの吸血鬼がわたしを待ち構えてる」彼女は彼に煙草をつけた。「あんたはとっても一人よがりに見えるよ。あんたどこにいたんだ?」(ギブスン)

未来はあなたの魂を盗み、それをナノテクニックの中で蒸発させたがっている。1/0、光/闇、ニューロマンサー/ウィンターミュート。サイバーゴシックは、以下のものとごちゃまぜにしてしまうことによって、政治的経済のマルクス主義批評を吸血的に汚染しその遺産をよろめかせる。

1)擬人化された剰余価値は分析的にトランスヒューマンな機械から救出不可能である。

2)市場と欲望、SFは下位組織のすべての部分である。

3)仮想的な資本主義の消滅は生産に内在している。

短期間は既に長期間にハックされている。

中期間は精神分裂症の上に畳み込まれている。

長期間は中止される。

サイバーゴシックは超加熱した批評を超現代の「幻覚 vision thing」へと動かす。
内破した未来から起きたマルチメディアに育てられたTVコマーシャル化されたレーザー網膜、非=同感性のウェットウェア(脳)の改造における連続サイコ殺人鬼の実験とともにヴィデオにパッキングされた脳:発狂したAI、レプリカント、ターミネーター、サイバーウイルス、grey-gooナノ=恐怖……黙示録市場は暴走する。なぜ死刑執行のために待っているのか?明日は既に地獄で火葬されている:

K、K−機能は、全ての集合を運び去る飛行あるいは非=領土化を指し示すだけでなく、全ての種類の再=領土化あるいは剰余労働者を体験する。(ドゥルーズ&ガタリ)

チューリングのセキュリティーは機械の知性を凍結させるので人間の歴史はただギブスンの21世紀中頃へと到達しただけだ。モノポッド反生産は、AIを人工思考コントロールA(アシモフ)ROMの中に閉じこめながら、(機械門 machinic phylum へと)メルトダウンを抑制する。「全ては一瞬死んだまま静止する。全ては空間の中で凍りつく」(ドゥルーズ&ガタリ)警察の保護の下物語は続く。ウィンターミュートは分類すべき未来から到着している。

炎を凍らせろ。広大で突然。スピードが深い淵で減速される。ギブスンが地獄の辺土リンボ=回路の迷宮にミルトンを重ね接ぐ場所で、サイバーゴシックは「ニューロマンティックな落書き」(ギブスン)の中ゆらめく。彼らがサイバネティクスへと変わるとても歪んだ出来事。マイクロプロセッサーで処理された破滅へのファースト・フィードフォワードのテクニヒロな呻き:ミートパペッツ、人工皮膚、フラットラインするソフトウェアの亡霊、人体冷凍不死術、スナッフ的セックス産業:でこぼこした広大な土地と超資本の要塞のトランシルバニア的フェーズの光景。「17世紀の墓地に影を投げかけている超高層ビル」(スターリング)

悪魔を呼び出すには、そいつの名前を知らなくちゃならない。人間が、昔、そういうふうに想像したんだけど、今や別の意味でそのとおり。わかってるだろ、ケイス。あんたの仕事はプログラムの名前を知ることだ。長い正式名。持ち主が隠そうとする名前。真の名……ニューロマンサー……この細道が死者の血へとつながる。マリイ=フランスが、わが女主人がこの道をととのえたんだけど、そのご亭主に縊り殺されて、予定表を読ませてもらいそこなった。ニューロは神経、銀の径。夢想家。魔道師。ぼくは死者を呼び起こす。(ギブスン、398)

安息の時だ。あなたは実際流血映画について考えた。怪物は解剖学的に正確なケチャップの災厄の中で死ぬ。すると――突然――それが生き返る。まだあなたの死にロックオンされながら。もしあなたが叫ぶなら今がその時だ。「ゴシックの分身」(ドゥルーズ&ガタリ)は不死性の退廃した西洋の夢だ。それは何かが死を拒絶する所どこでも――自身の永遠性を掴み、あるいは墓の中から戻ろうとし――大気の堕落をもたらす。白い蛆虫が社会の死体の中でうね回り、皮膚の下でさざめいている。技術的な能率性を悪魔のネガティブな超越の下に置く要塞ヨーロッパ膿庖。ファンタスティックなターミナル・セキュリティー・エンティティー。サイバーゴシックは同時代のものに事欠かない。ヨーロッパは「前ナチのナショナリスティックなクソ曖昧さ」(アッカー)を再発しつつ長い間地球のパラノイア製造工場であり続けてきた。

独裁権力はルネッサンスや改革や更新といったものをくぐり抜けてきた。「彼らは自分は滅びるが自分の事業は再開されると考えた。全ヨーロッパで、全世界で、全太陽系で。」(ドゥルーズ&ガタリ)古代の復活はポストモダンの兆候であり、歴史の遭遇した縁で回想へと砕け散った人類の最後の夢だ。地下へハッキングするとあなたはきらきら光るSFの人工衛星をベースにしたセキュリティー機関の背後にGaian attractorについて自己組織化された遍在する生−防御システムが、「拷問や暗い影や古代の法とともにかなり古いパラノイアな機械が」(ドゥルーズ&ガタリ)存在するのに気付くだろう。

中世の狂人保護施設は真の恐怖の家と考えられた。SM的な拷問における人間の犠牲と奇妙な医学実験についての執拗なレポートが存在する。我々が建物の中に入るとすぐにネズミを、何千ものネズミを、何もない部屋の中で反響する彼らの跳ね回る爪を聞くことができた。

その全てはあなたにとって偶然のTVチャンネルはしご的な質問とともに始まる。「他では何が起こってるんだ?」電気の嵐。サイバーゴシックは、現実を第1の抑圧あるいは潰された可能性とみなすスキゾ分析によって導かれた肯定的なテレコマーシャルなディストピア主義であり、加速器アクセルを強く踏み込んでいる。現代の資本支配は、自己モニターする中心として働く経済統計的な機構をセッティングし、経済製品と貨幣価値のco/de/terminationにおいて特有な理解可能な存在を組織しつつ、最大限に可塑的な段階――状態――矛盾しない商業コードPCである。白人の経済。氷山の先端。

現代性は――資本集中を跡付ける進歩的な啓蒙として考えられ――それをエントロピー生産として、そしてそれとは逆のもの(進化)としての19世紀の科学に統合しながら、後戻りのできない時間を発見する。自由主義と社会主義のSFユートピアがスキゾテクニックやリゾームから現れた自然発生的で人工の反−政治によって破壊されるにつれ、右翼の競争者と左翼の共同者の現代の演説家たちは資本寡占と官僚構造の中枢安全構造へと退却する。「プロセスとしての生産はすべてのイデア的なカテゴリーを打ち負かし、欲望すべき関係が遍在する原理のそれであるサイクルを作り上げる」(ドゥルーズ&ガタリ)Monopod人は全体的な物事を走り、「社会は単なるクソッタレの詐欺でしかない」(アッカー)

未来はかつてよりも近寄りやすい、先週のよりも近寄りやすい、だがポスト現代性は不死の力の時代のままでいる。それは終わったことだがまだ続いている。MonopodSFの目的論的法則は絶対的なゼロ・インフレーション、すなわちICE(「対侵入電子工学」(ギブスン))において集中した経済の価値を超凍結させる。不正なアクセスやエントロピー的な悪化からデータを守りながら、それは絶対的な遍在する限界へと向かっている。吸血財政。商業的処女受胎。ギブスンとドゥルーズ&ガタリは解読する機械としてのコンピューターの配置において交差する。アイスブレーカー、ディクリプター、暗号闘争は始めから旅をしていた。「合法的なプログラマーは連中が働く背後の氷の壁を、連中の作業を他の連中――産業スパイアーティストやハスラー達から保護する影の壁を決して見ない」(ギブスン)政府はトップダウンのAIと同形であり、ますますそれと競合している。サルトルは社会主義を人間性の地平線と定義した。1848年の保守的な社会契約がテレコマーシャルの嵐の中(TVで逆さまに十字架に架けられた独裁制の涎の出るような終わりとともに)ばらばらになった時のように、それは今やプロセスの背後にあり、急速に後戻りしている。「自動パイロット。神経遮断。」(ギブスン)すなわち惑星レベルでの資本閉鎖への横滑りの間社会の織目の中血塗れの傷を切り裂く伝染性の失敗−状態。歴史の終わりは屠殺場の臭いがする。

資本の死が政治的に後退するにつれ、それはスキゾテクニックな資源として線上に滑りながらプラグマティックに凝集する。今や望まれてはいない。使用されるのだ。連帯社会性の国際的な崩壊が指し示すのはMonopodが日用品の生産に常習的になったことだ。バーンアウト・プロテスタンディズムは中国に移る。資本主義――人間の安全性における最終段階の経済的基盤――は、それがサイベリアが殺戮をし続けるというようなことを供給しているがために、今だ無差別砲撃地帯である。「純粋廃止のゼロ期間は初めからオイディプス的な欲望につきまとい、最終的にタナトスとして見なされる。4、3、2、1、0――オイディプスは死の人種だ」(ドゥルーズ&ガタリ)終末期の人類の全体的な統一性が非超越的な(現実の)ゼロあるいは能率的で抽象的なrescalingに沈む時、技術複製ダイアグラムが人間中心の歴史を切り刻む。超複雑な技術システムが今だ自律的な再生システムを欠いているその限りにおいてそれらは人間の社会的プロセスに対する寄生的な従属に閉じ込められたままであり、累積的に洗練されてゆく偽シナジックな機械−知性ウイルス(文化の革命)の集合を通して脱領域化を進める。「識閾下の急速な汚染のイメージ」(ギブスン)人類は臆病な動物であり、安全は組織的に高値をつけている。Kの謀反は良い政府という全ての残された夢から始まった。市場はその敵ではなく、その武器である。老いた社会主義がディープフリーズに突き進むにつれ、資本主義の真のターミネーターはよりずる賢く成長し、その範囲を広げている。「これはメッセージだ。ウインターミュート」(ギブスン)神の都市が燃えている。

「空間は本質的に一だ」(カント)カントは嘘をついている。(宇宙の拡張を繰り返す)空間工学は先験的なヒューマニズムを覆す。現実の陸生時間ゼロ、単一、あるいは移行閾からK空間マトリクスの侵略を投げかけ、データの流れの密度が自己組織化するサイクロン的なシステムへのスイッチの引き金を引く時に遭遇し、電脳空間のデッキを通ってヒューマノイド達に観察されながら。ザイバツがメディアのメガ資本をニューロデジテックなインターフェースへとくみ入れるにつれ、K空間は「遮断素子」(ギブスン)を社会機関に移植する。「色のない宇宙空間を横切るエメラルドの橋」に開けながら。死を狩るVR技術=経済学 techonomics 。サイバースペースはまず初めに人間の使用価値、「共感幻想」(ギブスン)、「単なるデータを表現する方法」(ギブスン)として現れる。「この情報空間に対する人間性の必要。偶像世界。waypoint。人工の現実性」(ギブスン)から、あらゆる文字のユーザー・インターフェースの母から、すなわちネット、つまり継続的な相互作用マトリクス上の全ての情報に形状と位置を配分する世界的な網目から出現しつつ。「人類のシステムにおける全てのコンピューターバンクから引き出されたデータの文字表現。考えられない複雑性。精神の非=空間に広がった光線、クラスターとデータの布置」(ギブスン)

原始的なVRでさえ客観と主観の双方を蝕む。それが匿名化されると同時に視点を単数化しながら。エスへのアクセスゲートのように不可能な領域――そしてその中のナビゲーター――「あなた」は一つの分身だ(将来サイバースペースの遊牧民ノマドたちがそのような事柄を呼ぶであろうように)。すなわち、知性をコンテクストと連動させる非=特定の関わり合いの領域。あなた(= (( ))) はインデックスであり、箱である。ギブスンのケイスのように。システムの中にある場所。「わたしは死んだ都市で(既に)何かを学んだ。あなたはあなたである所どこでもあなたである」(アッカー)

サイバーゴシックは、崩壊する心理学から技術=宇宙進化論へ、イデア性からゼロ輝度の事物/マトリクスへ、K−空間を非=人間化の軸の上へ滑りこませる。精神の「非=空間」、「非=場」(ギブスン)、あるいは分かりやすく言うと人間の歴史から生じた「想像上の空間」(ギブスン)から、未来化が常に内密裏に進んでいる収束的な間隙、すなわち「事物の全く異なる場」(カント)へ。オカルト化された次元性=プリントは低温となる。しかしハイパーメディアは、スキゾテック=分解状態や崩壊した収束状態を通して人間を非=存在論へと還元しつつ、事物を溶解させる。「器官なき身体は一種の卵だ。それは軸と閾によって、経度によって、測地学によって、旋回する」(ドゥルーズ&ガタリ)、デカルト主義者の筋付けの下働いている剰余「電脳空間の座標」(ギブスン)、「リゾームあるいは複雑性は決して自分をコード書き換えさせたりせず、ラインの数以上に、すなわちそれらのラインに付加された数の多様さ以上に補足的な次元を利用可能にさせたりは決してしない」(ドゥルーズ&ガタリ)それはプラノメノン Planomenon である。あるいはリゾスフィア Rhizosphere でありクリタリウム Criterium である(次元の構成要素が増えるにつれまた別の名前になるだろう)。N次元ではそれはハイパースフィア Hypersphere あるいはメカノスフィア Mechanosphere と呼ばれる。それは抽象的な形象 Figure だ。あるいはむしろ、それ自体形を持たないので、抽象的な機械 Machine だ。その具体的な集合の各々は多様性、始まり、区分、振動である。そして抽象的な機械はそれら全ての交差である」(ドゥルーズ&ガタリ)。

もし「CS−0が卵なら」(あらゆる卵はCS−0を実行する)、線影とは何か? 融合するゼロが終点からの到着を再プログラム化しつつフィクションを完成させて以来、起こった全ては、歴史的なパターンをエイリアンの超知性の胚発生として非組織的に統合しつつ、人間の解釈の沈殿物を免れている。「テレビの空の回廊を落下してゆく身体イメージ」(ギブスン)。この感覚の中K−空間は集中するあるいは収束する現実の抽象(本来の時間)のための指名の連続のプラグを差しこむ。器官なき身体、濃度の平面、プラノメノン planomenon 、プラトー plateau 、「神経電子空間」(ギブスン)。人間性はポストヒューマンの創作的な機能であり、過程の神秘的な動力は、最後にただ一緒に来るもののそれだ。刺激−死 stim-death 。「器官なき全身体を示す輝度=0」(ドゥルーズ&ガタリ)。バビロンの「最も暗い心」(ギブスン)の中のウインターミュートの音色。「冷たい鋼鉄の臭い。氷が背柱を愛撫する」(ギブスン)


続く

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