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「黙示録――それはまだ存続しているのか?――」
マリア・ド・ロザリオ
ニュー・イングランド・イングリッシュ・レビュー、1998

 「海への回帰に関する「水性黙示録的な aquapocalyptic 」物語はどのようにミレニアムと関わっているのか?時限爆弾?マリア・ド・ロザリオはウェブ上の奇妙な出来事に関する「ハイパーフィクション hyperfictional 」かつ「民族−数学的な ethnomathematical 」研究について報告し、問いを発する。電脳時代におけるカルトは単なる最新の狂気なのか、それとも新たなる千年紀の神話なのか?」

 あなたは「サイバーゴス」に関するメディアの恐怖物語に慣れ親しんでいるだろう。しかしマサチューセッツのミスカトニック大学の二人の若い研究者によれば今はサイバーゴス達が現実に何をしているのかをより慎重に見るために人工ドラッグや電脳空間のコーマに関するモラルパニックを静める時だという。

 サイバーゴス――そしてネットに定住するようになった他のカルト的な集団――は一時的な流行ではなく、若者文化よりも民間信仰に近い「洗練された同時代の信念体系」だ。「サイバーゴスはカーゴ・カルト(訳注:積荷信仰。文明の到来と共に祖先の霊が戻ってきて自由になれるという南洋原住民の信仰。第2次世界大戦において飛行機が素晴らしい積荷をもたらしてくれたことによる)だ。」とミスカトニック大学のリンダ・トレント教授は主張する。「彼らはテクノロジーを彼らの信念体系に統合し、過去を未来に変形させる。あるいはその逆に」

 西洋の岩屑を信仰の対象にしたメラネシアの雑多なものからなるカルトのようにサイバーゴスも情報時代の遺物を新たなる神話体系の神聖な対象として用いる。しかし自身を「虚構のシステム」の専門家と呼ぶトレントは「神話学」という用語を嫌っている。「それは多くの問題を見逃し、古い様式を連想させてしまう。サイバーゴス現象が実際パワフルに示しているのはその信念体系がどこから来たかを正確に指摘する難しさなのだ」

 いろいろな意味でサイバーゴス体系と昔の信念体系との間の著しいパターンの符合を見つけるとそれは復古主義の問題に見えがちだ。しかしそれは結局は説得的ではない。考慮されるべきは時代 Time を越えた収束点だ。それらは偶然の一致なのか。それはまた更なる問題を提起する。偶然の一致とは何か。そしてそれがサイバーゴスに関するすべてだ。トレントはサイバーゴスは電脳空間に「生まれついて住みついている者」であり彼らの文化の出現は起こるがままの信念体系の形成のプロセスを学ぶまたとない機会を提供してくれると言う。

 トレントは上記のような「サイバネティックな」信念体系として「ハイパースティション hyperstition 」という用語を用いている。「それはハイパースティションな体系に関する真偽の単純な問題などではない。ここで言う信念は単に消極的な性質を持つのではない。状況は我々が普通考えているような宗教的な信仰よりも現代のハイプ(誇大宣伝)現象に近い。実際ハイプは事物を生起させ信念をポジティブなパワーとして用いる。今それが「リアル」ではないからといって未来のある時点でもそれがリアルではないとは言えない。またそれが一度リアルになったならばそれは常にリアルであり続ける。」サイバーゴスの鍵となる領域の一つはいわゆる「ミレニアムバグ」(1年を4つの数字よりも2つの数字で表すコード上の慣習によって引き起こされるコンピューターの故障)に対する彼らの反応だ。

 サイバーゴスたち――彼ら内部のコミュニケーションでは「K」という文字をサイバーという接頭辞 cyber-prefix の代わりに用いる――はミレニアムバグを修正しようという試みは実際のところ「グレゴリオ歴への回帰」のプログラムであるのに対し「電脳空間は既に暦法――00=1900から99=1999まで数える暦法――を持っている」と信じている。2000=00(=1900!)に戻るのを避けるためにKゴスたちはグレオリオ歴への「回帰」ではなく「存在するK暦法」を継続することを、2つの数字ではなく1つの数字を付け足すことによって継続することを提唱している。

 2000年を祝う代わりにサイバーゴスたちはK100年に対して「冷静でいる」だろう。このことは明白にその「時間政治学」がどちらかと言えばKゴスたちのそれよりも風変わりな「ハイパーC」と呼ばれる別のウルトラシークレットなウェブムーブメントとの対立を彼らにもたらすことになる。ハイパーCについてはほとんど何も知られていないが時々発行されるインターネットの公式発表ではK暦法が避けようとしたまさにその「回帰」を祝福している。ハイパーCはコンピューターが我々にメッセージを送っていると信じているように見える。すなわち永遠に1から99までを数えるたった一つの世紀しか存在しないと。「ハイパーCは別のカーゴカルトだ」とトレントは言う。「しかし彼らが扱っている時間体系はサイバーゴスのそれとは非常に異なる。私が掴める限りでは彼らの基本的な趣旨はコンピューターはみだりに干渉されるべきではないということだ。ミレニアム時限爆弾は西洋の年代を爆発させるだろう。いわゆる「原始」時代には共通の多くの要素があった。たとえばたった一つの年しかないというような考えだ。」

 一つのフレーズが繰り返し現れる。(ラップグループの)パブリックエネミーの「今なお存続する黙示録 Apocalypse been in effect 」。ハイパーCという名前は海 sea とCを引っかけているし、それはハイパーシー hypersea の過激な生物学的理論(それは「陸上生活」は海の延長だと主張している)を世紀 Century やサイバネティクス Cybernetics やサイクル Cycle といった鍵となる「C」の言葉と連結している。その表沙汰にならない活動はイギリスの理論家コジョ・エシュン Kodwo Eshun が「エソテロリズム eso-terrorism 」――主に「ソニック・フィクション」の(ハイパーな)媒介を通じて導かれた「情報戦争」――と呼んだ深く潜行した世界へ巣を張り巡らせている。

 テクノグループのドレクシヤはハイパーCと繋がりがあると噂される同時代のエソテロリスト一派のたった一つの例だ。エシュンは書いている。「彼らの97年に発表された二枚組のコンセプトCD『ザ・クエスト The Quest 』のライナーノートにおいてドレクシヤ人は「病気や壊れた積荷のせいで働いている間に千人単位で」海へ投げこまれた「アメリカ人に拘束された妊娠したアフリカの奴隷たち」から生まれた水生種であることが暴かれた。」人間が水面下で呼吸することは可能なのか?母親の体内にいる胎児は確かに水中環境で生きている。彼女たちは空気を必要としない赤ん坊を水中で出産することができたのだろうか?

 最近の実験ではハツカネズミが液体酸素で呼吸可能であり、早産で生まれた人間の胎児が未発達の肺を通して液体酸素を呼吸することにより決定的な死から助かったことが分かっている。南アメリカの海岸の沼地において観察されたギルメンと沼地の怪物の報告とも結びつくこの事実は奴隷売買理論を驚くほど実現可能にしている。ドレクシヤはエシュンが『太陽よりも明るく――ソニックフィクションの冒険 More Brilliant than the Sun: Adventures in Sonic Fiction 』と題された彼の最新の著書の中で述べている「ハイパースティション的な」ネットワークの、サン・ラやパブリック・エネミー、ジョージ・クリントン、それにアンダーグラウンドな抵抗運動を含むネットワークの一部だ。エシュンにとって彼の言う音速の「非連続体 discontinuum 」における決定的なテーマは誘拐だ。彼は説明する。「エイリアンによる誘拐のアイデアは我々が18世紀からエイリアン国家に住んでいる事を意味している。ニグロとなったものへの、アメリカにおいてデザインされた人間の連続性全体への18世紀におけるアフリカの男女の奴隷の突然変異。」

 もちろん誘拐はサイバーゴスの最近の報道において、子供たちが人工ドラッグや精神分裂症の世界に飲みこまれたと訴える怒れる家族とともに主要なテーマとなっている。誘拐が現実に関係しているのはトレントによれば「失われた時」だ。「あそこでは何が起きているのだろう?」と彼女は尋ねる。「それを知るにはある意味で誘拐されなければならない。」トレントにとってハイパーCとサイバーゴスの戦いは現在進行中の「時間戦争」(悪くなる一方の戦争であり、それは我々全てに影響を与える)の一部だ。サイバーゴスはトレント教授が「極端に洗練された」時間の哲学と呼ぶものだ。「彼らは二つの相互に関連するダイアグラムあるいはグラフ化 graphizations を用いる。「バーカー Barker 」の螺旋と「スティムウェル Stimwell 」の数字図法 Numogram (ペンタザイゴン Pentazygon を含む)。」

 「バーカーの螺旋には数的な関係の単純な組が並べられている。だがこれらの関係はひどく入り組んだ関わり合いを有している。」とミスカトニック大学の「時間経過下位委員会 Time-Lapse sub-committee 」のトレントの仲間であるポリー・ウルフ教授は主張する。ウルフが説明するところによれば螺旋の一方ではあらゆる数は合計して10になる(1+9,2+8,3+7,4+6,5+5)。他方の「オカルト的な」面では10は取り除かれ全ての数は9を作り出すために「対にされる」(0+9,1+8,2+7,3+6,4+5)。ここで重要なのは「数字変化」の操作だ。ある数は構成される数字を合計することによって1から9までの数字になる。たとえば16 = 1+6 = 7, 17 = 1+7 = 8……等。多くの変わった効果の中でウルフが述べるのは9と0の交換可能な役割だ。「数字変化において9は常に0として機能する。試してみよう。たとえば92。9 + 2 = 11 = 1 + 1 = 2。9を含む数なら同じことが応用できる。ある意味で9は単に無視することができる――だがそれというのも9は0と同じようにどこにでもあるからだ。」ウルフは続けて「ある意味で数字図法 Numogram は螺旋の精巧さとみなすことができる。」

 数字図法は数字変化の操作を「三角数法 triangular numbering 」のそれと結びつけることによって生じる関係を述べる。三角数法では当該の数字まで順番に全ての数を合計する(その数字を含む)。たとえば3は6になる。3 = 1+2+3= 6. 9=1+2+3+4+5+6+7+8+9= 45 (45は興味深いことに数字が[4+5 =] 9に変化する)。ウルフは自分のことを「ポスト数学者 Aftermathematician 」あるいは「メカノミスト Mechanomist 」と呼ぶ。「私は趣味の人だ」と彼女は言う。「私は数がいかにふるまうかを見るのが好きなのだ。それらを既存の論理体系の例化 instantiations に当てはめるのには興味がない。」それに対して制度化された数学は「数への敵意」によって定義づけられるとウルフは主張する。ウルフ教授は彼女が興味を抱いている「ポスト数学的な」理論の原型――カントールの無限数、ゲーデルの対角線論法、またもっと昔の「その国独自の数学体系」の間の一致点を指摘しながら、伝統的な数学が背を背けてきたいわゆる「数秘学的な numerological 」伝統を真面目に捉えている。「(オハイオ州大学の)ロン・エグラッシュのような民族数学者 ethnomathematicians がしている研究を見たいならまさにリンダが興味を抱いている奇妙なループする同時発生と風変わりな倍化のような例を見ることができる。」

 エグラッシュは何の注釈もいらずにセネガルの砂による占いとカントールの集合の間には類似点があると述べる。ここに影響や進化の道筋があるなどとは誰も真面目に考えない。しかし同じ発見にはいくつもの平行する道があるものだ。数と数が行うものは我々が発明したのではないのと同じようにそれらが最初からプラトン的な天国に存在していたわけではない。それゆえメカノミクス mechanomics なのだ。機械的 Mech 、というのは数の戯れが表象的というよりも実用主義的だからだ。数の振舞いに従うことは何がしかを生産する行為でもある。しかしそれは単に全ての生産行為が実際は無からの創造ではなく発見の問題であるからにすぎない。物事を作り出すことは常にゼロから引き算をすることなのだ。」

 ここで重要なのは「無限小」の役割だ。ウルフによればそれは「ゴシック的な数」における主要なテーマである。ゴシックという言葉は「無意味ではない。微分学はかつて「ゴシック的な仮説」として棄却されたことがあった。というのもそれが標準的な単一の数量化に還元できない量を措定するからだ。ある意味でゼロは――それがヨーロッパに導入された時非常に論争を引き起こした――それ自身ゴシック的な量だ。サイバーゴスたちが「アチュナル Uttunul 」と呼ぶものは決定的にカントールの連続体と関係している。」「アチュナル Uttunul 」はサイバーゴス体系に定住する5つの「存在」の内の一つだ。(トレントは不意に挿入して言う。「厳密に言えばシステムがサイバーゴスに属しているように言うのは間違っている。彼らはそれを用いる。がその起源は非常に謎に満ちているのだ。」)5つの存在は互いに「バーカー対」あるいは「シズジー Syzygy (対のものの一組)」、すなわち9(1/8, 2/7, 3/6, 5/4, 9/0) を作り共に「ペンタザイゴン」((「5つの対」)を構成する組合せに相当する。これらの存在の最初の3つは「時間のサイクル」を作り上げ、他方他の二つは――ある意味で――連続して生起する時間の「外部に」ある。システムが表現するサイクルは「複数の値を持っている multi-levelled 」とトレントは指摘する。例えばそれは陸から海へのそして再び陸への旅に関する物語でもある。カタク Katak (5/4)は「砂漠と、熱の朦朧状態や揺らめきと関係している。多くの点でその主な特徴――カギ爪の印、歯――は狼男の伝説を思い出させるように思える。その時間は激変の時間だ。その出現は常に災厄の前兆となる。時折狂水病や狂犬病の犬に喩えられながら、カタクはサイクルの中でそれにとって変わるもの、マーマー Mur Mur (1/8)、潜水の夢見る悪魔の恐怖によってある程度特徴付けることができる。

 一方マーマーは海の獣や古代のサーペント伝説の反響を引きずっている。その時間は深層の海底の時間だ。カタクのようにマーマーもまたサイクルの中で後に続くものを恐れている。このケースだとオダブ Oddubb (2/7)だ。それは水陸両性の存在であり、水と肺の獲得の線引きに関係している。マーマーが恐れるのはオダブのもたらす分割、未分割の水の分割だ。オダブは両義的で捉えどころのない動きとして定義づけられる。その名前が指し示すようにそれは「二重スパイ」、二枚舌の生物だ。それは渇きに、カタクと共にもたらされる完全に地上に固定された状態に恐怖を覚えている。これによって我々はサイクルを一巡する。「時間の外部に」ある二つの存在――ジンクス Djynxx (3/6)――「さっと身をかわす(軌道が一定せずジグザグ動く)動きによって定義される変化する形象、突然の割りこみ/飛び出し」――アチュナル Uttunul (9/0)、「連続体、ゼロ輝度、空間を暗示する「フラットライン」の存在、無限に拡張された時間ではなく無−時間 NO-TIME としての存在」――は、トレントにとってそれらが「子供の誘拐」と地獄の古代の伝説と関わりを持っている故に、多くの点でその対の最も魅力的かつ最も不快なものである。しかしこれら全ては単に古代の神々と共に魔法の解かれた世界で生きる試みなのだろうか?それとも現実にこれらの生物でいっぱいの電脳空間――そして世界――なのだろうか?「おそらくその全ては作り事だ」とトレントは謎めいて微笑む。「しかし物事を生起させる信仰のパワーを過小評価してはいけない……。」


訳者補足
「時間のサイクル」:Mur Mur(1/8)-Oddubb(2/7)-Katak(5/4)-Mur Mur(1/8)....
「時間の外部」:Djynxx(3/6), Uttunul(9/0)

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